#102
2年前のあの時を共有できるのだろうか
2013-5-18
1ヶ月ほど前ですが、「遺体 明日への十日間」という映画を見ました。
2年前に起きた、東日本大震災。
津波にのまれ、亡くなった人たちが次々と運ばれた仮設の遺体安置所で、多くの遺体と向き合う様々な人たち。
遺体を捜索し運んで来る人、検死する医者、家族・親族・友人・知り合いを探しに来る人・・・
情報が不足し、運ばれる人のあまりの多さに混乱する中、地区の委員として働いていた一人の男性が、かつて葬儀社で働いていた経験を生かし、「ご遺体」の一人一人や遺族たちに暖かい声をかけ、人としての尊厳を守ろうと気遣います。
原作を執筆した石井光太さんは、実際現場を取材してこの本を書き上げたそうです。
関東という遠い地でこのような災害に遭わなかった私のような人間にとって、この映画を見て何か言える言葉があるだろうか、と思いました。何を言っても、実際このような境遇に見舞われた人にとっては空虚に感じられるのではないだろうか、と。
しかし、そういう気持ちを除いて率直に感じたことを言うと、津波による被災により変わり果てた状況で常識が通用しないという無力感と、なぜこの人が・・・というやるせない気持ちと、それでもやれることをやるしかないとすこしづつ前に進んでいく力強さ、そしてどんどん運ばれて来る亡くなった人たちに最後まで人としての尊厳を持って接してあげようとする優しさ、そういういろいろなものを感じ、「絆」という言葉が流行りましたが、絆というよりは人が本来持っている心の奥深さと、そういう場でも湧いてくる助け合いの気持ち、そして底力、そういったものを感じました。
果たして、自分があのような立場だったら、自分の境遇を認めることができるだろうか、耐えることができるだろうか・・・否が応でもそう考えずにはいられません。
まあ、何を思っても自分にとっては空想の世界でしかないのですが、この映画のシーンは、一生自分の心のどこかに残り続けるでしょう。
実際はこの映画のような生易しいものではなかったと思います。でもそのような限界があるにせよ、何かを伝える必要がある。
そういう意味でも、多くの人に見ていただきたい。
惜しむらくは、有名俳優が多く出演しているのでそれが気になってちょっと真実感に欠けるような気がしたのと、きれいに描きすぎているような気することでしょうか。
もちろんリアルに描けば良いわけではありませんが、どうしてもテレビドラマのような雰囲気が抜けず、制作が(原発推進派のフジサンケイグループということで私が日頃目の敵にしている・・・)フジテレビジョンというのも個人的に苦手ではありましたが、今回ばかりは素直にこのような映画をありがとうと言いたいと思います。
遺体 明日への十日間 http://www.reunion-movie.jp/
カテゴリー:フィルム