#107
身軽に生きる
2013-6-29
ここのところずっと、家にあるものを整理しつつ、不要品を処分してます。
平均寿命の半分を生き、人生折り返して振り返ってみると、実に様々なものを買ってはストックしてました。
自分ではそれほどいろいろモノを購入しているという自覚は無いのですが、買ったものはなかなか捨てられない性格なので、買ったものはたまる一方で、ただでさえ狭い部屋にモノの置き場所が無くなってきます。
カミさんはそれほど物持ちではありませんが、私がいろいろモノを持っている。他人と比較したことがないので世の中の人と比べて多いのか少ないのかは分かりませんが、特に多いのはCDと本でしょうか。
特に、学生になってアルバイトに励んで自分で自由に使えるお金が出来たころに買ったものが、未だに多く残っている。
これまで何度も、処分しようと思いつつ、将来また使うかもしれない、と処分を断念したモノたち。
例えばCD。
若い頃に毎日のように何回も聴いたものはいまだにたまに取り出して聴いたりしてますが、買って数回しか聴かなかったものはその後もまず聴かない。
ということは、今後も聴かないということです。
例えば本。
所有する本の多くが、1回読んだだけ。では、もう一回読むか?と考えると、今後読むかもしれないけれど、今しばらくは読もうという気にならない。
ということは、今後も読まない。
でも今まで手放さなかったのは、一度手放したら二度と手に入らないかもしれない、という気持ちだったのかもしれません。
しかし、時代は変わりました。
今は音楽は配信でも聴けるし、入手困難なCDも、そして本も、インターネットで探せばその多くは見つかります。
ですから、「また使うだろう」ではなく「また使うかもしれない」くらいにしか考えていないものは思いきって手放しても問題なさそうです。
手放した後に聴きたくなったら、読みたくなったら、使いたくなったら、また手に入る。手に入らなかったら、そのとき考えればいい。
身軽に生きることにあこがれています。
荷物を少ししか持たず、動きたくなったらすぐに動けるような環境。
モノをいろいろ持っていると、その管理にも時間やお金を取られます。それがなんだかわずらわしくなる。
モノを持つことで、いろいろ選択できる自由を身近に得たと思ったのに、それで何か安心感を感じていたのに、逆にそれらに時間や空間を取られ、自由を失っていく。
実は、目標としているモデルがあります。
それは、池澤夏樹さんの小説「スティル・ライフ」に登場し、ひょんなことから「僕」の部屋に引っ越してくることになった佐々井という男性。
久しぶりに本をひっくり返してみましたら、まずパソコンを一台持ってきて、それから家財道具一式を持ってタクシーでやってきた、とあります。
・・・
彼の家財には家具は何一つなく、什器の類いもほとんどなく、すべてが大きな登山用のリュックと二つの中くらいの鞄におさまっていた。引越なら手伝うからと言っても彼が取り合わなかった訳がそれで明らかになった。
・・・
「これで全部だ」
「本当にそれだけなの?」
「うん、身辺にものがたまるのは嫌いなんだ。慣れると、たいていのものはなくてすむよ。去年まではあのパソコンもなかったから本当にタクシー一回で引越がすんだ。電車で引越したこともある。この仕事が終わったら、パソコンを始末して、またもとどおりに身軽になれる」
・・・
(スティル・ライフ 池澤夏樹・著)
さすがにリュック一つはムリですが、究極の理想像はコレですね。この本を読んだのは20年くらい前ですが、なぜかこのシーンだけはずっとよく覚えていました。
そろそろ「モノを持っていてもたいていのものは常には使わない」ことを認めざるを得なくなってきましたから、徐々にモノを減らし、新たに買う時は十分に吟味して選ぶ、モノに捕われている時間とお金をもっと別なことに有効に使う、という生き方に、徐々に転換していきたいと思います。
カテゴリー:ライフスタイル