#80
円空仏と「背中」
2013-1-27
東京国立博物館で行われた企画展「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」を見てきました。
円空は江戸時代初期の美濃国生まれの僧侶ですが、その独特な木彫りの仏像は「円空仏」と呼ばれ、円空が行脚した北海道から近畿地方にかけての各地に円空仏が残されており、特に現在の愛知、岐阜あたりに円空仏が多く残っています。
円空は生涯に十二万体の仏像を彫ったといわれ、現存しているのは約五千体。それにしても信じられないほど膨大な数です。
私が円空仏のことを知ったのはつい最近のことですが、木を割ってそれを粗く削っただけで装飾も大雑把であるか、多くはほとんど装飾が無く、全体的にごつごつした感じのその姿に相反した慈愛に満ちた優しい表情に魅せられ、いつか実物を見たいと思ってましたが、意外と早くその時が来ました。
円空は生涯仏像を彫り続け、「円空さん」と呼ばれ親しまれたそうですが、この大量かつ粗い仏像たちは、なるべく多くの人に仏像を手渡したいという想いだったのでしょうか。
多くの人たちに渡るようにするには大量に作らなければならず、必然的に余分な装飾は省略し、一体を彫り上げる時間をなるべく短くするための工夫だったでしょう。それにもかかわらず、その顔からはしっかりと「仏の顔」が伺えるのです。
円空さんの想いはしっかりと木に彫り込まれていました。
想いを溜めて、気持を集中させて、一気に彫り上げる。
そして、「木彫」ではなくどちらかというと「材木」に近い感触に、「庶民の生活の中の仏像」を感じさせます。
おそらくこのころの時代、材木は身近にみられた材料だったでしょう。その身近な素材がちょっと彫っただけで仏像になるのですから、おそらく庶民はその「材木のような仏像」に親近感を持ったでしょう。
それを顕著に感じたのが「背中」。
最近、いろいろな企画展で仏像を展示すると、後ろ側も見ることができるような配慮がなされるようになりました。
この、「仏像の背中」というのは、私はとても好きなのです。
仏像の正面、側面というのは、たいてい様々な装飾が施され、一見華やかです。
ところが、背中というのは装飾が少なく、驚くほどすっきりしていることが多いのです。
今回の企画展は撮影NGだったので写真はありませんが、常設展にあった仏像を見てみましょう。
こちらは毘沙門天立像(平安時代)の正面。
暗くてわかりにくいですが、こちらが背中。
どうでしょう。正面のゴテゴテした感じに反して、背中はすっきりして、丸みを帯びたシルエットに、包み込むような優しさを感じませんか?
対して円空仏。常設の展示室にも円空仏があり撮影OKだったので撮ってみました。
如来立像。正面
こちらが背中。真っ平ら!
どうでしょうか。
「いくら簡素な仏像ったって、手を抜きすぎじゃないの?」
と思うかもしれません。
しかし、私はこれに衝撃を受けました。
背中の仕上げは材木そのもの。
もはや、ここまでくると仏像も「道具」ですね。
でも、これこそが「生活の中の仏」なのではないでしょうか。
そう、仏は「あらゆるものに」宿る。それがよく分かるのがこの「円空仏」ですね。
(三十三観音立像。「インターネットミュージアム」ウェブサイトより)
たとえば、私が今回の企画展で一番気に入った「三十三観音立像」。
三十一体しか残っていないらしいですが、実は五十体近くあって、「近隣の人々が病気になると借り出して回復を祈ったといい、戻らないこともあったという。」(図録より。)
いいですね、こんなエピソード。
それに、三十一体立ち並んだ姿は、まるで樹林のように見えました。
そう、木々の一本一本にも、仏が宿る。
私は仏教の教えに通じているわけではないので詳しいことは分かりませんが、まさに仏教の教えを分かりやすく表現している仏像が円空仏ではないか思いました。
「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡」東京国立博物館 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1556 4/7まで。
カテゴリー:芸術のあたり