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#168

荒れはじめた娘 猛省した親

2015-5-26

 娘が小学校に入学してから1ヶ月半が過ぎました。

 ゴールデンウィークも過ぎて、学校から宿題が出るようになりました。

 そのころからでしょうか、娘の様子に変化が起きてきました。
 徐々にですが、娘の態度が荒れ始めたのです。

 親に対して、何かにつけて文句を言う。注文をつける。親の言うことを否定する。親を困らせるようなわがままを言う。「○○しなさい」という指示に従わない。
 言動がとげとげしくなり、こちらが何かを言えば歯向かいそうな、ピリピリとした空気が流れました。
 ここのところの娘は可愛げが無いとさえ思うようになりました。

 早くも思春期の反抗か?と思うくらい。

 その悪態をつくような態度は、最初はほとんどが妻に対してでしたが、そのうち私にも影響が及び始めました。
 極めつけは「着替えているところ見ないでよ!」と激しい口調での反抗。
 娘が中学・高校生ならまだしも、まさか小学一年生にこれを言われるとは思いませんでした(苦笑)・・・

 娘は風呂上がったらそこらへんで着替えてますからね、べつに見ようと思わなくても見えますよ。
 ついこの間までは平気だったのに。
 見られたくないなら見られないような部屋で着替えなさいとでも言おうものなら「だってHちゃん(娘のこと)はここで着替えたいんだモーン!」と激しく泣き出す始末。

 あまりにもひどいので、妻と話し合いました。
 妻曰く、「私が怒ってばかりいるし、保育園の時は、私に怒られても保育園で当番に入っているお母さんのところに行けば優しく相手してくれるから気が晴れたけど、小学校にあがったらそういうことができなくなったからじゃないかな」と。

 なるほどね、そういうことかな、と思いました。


 しかし、日を追うごとに娘の荒れようはエスカレートし、それに応じて妻は怒鳴りや小言は激しさを増します。私も娘のあまりのひどさにいろいろと注意し小言を言うようになっていました。


***


 そのころから、ある1冊の本を思い出し、読み返そうと思いました。


「子どもを信じること」田中 茂樹・著
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 私がこれまで読んだ育児の本で、最も共感した、私にとっての「子育てのバイブル」です。
 子どもをしつけるよりも、ほめるよりも、教えるよりも、もっと大事な、親子の関係の根本となる「子どもを信じる」ということについて教えてくれた本です。
 正しくは育児の本ではなく、親育ての本と言うべきかもしれません。



 いろいろと反省しました。
 この本に共感し、娘を信じてきたつもりの娘の保育園時代。
 つい最近も、里親会の研修の講義を聴いてもっと子どもを甘えさせることを決意したばかりなのに。
 娘が保育園児のときはそれでもよかったかもしれません。
 まだ小学校前だから仕方ない、と思えたし、日常での「決めごと」も、さほど多くはありませんでしたから。


 小学校にあがると、保育園の時のようにはいきません。
 娘は自分で早起きして、家を出たら登校班で学校に行かなくてはならない。学校で勉強もするし、家に帰ってきてから宿題もしなくてはならない。翌日の学校の準備も自分でしなくてはならない。

 自立して行動することが、保育園の時よりも格段に高いレベルで要求されるようになります。


 本を読んでみたら、内容を理解していたつもりだったのに、小学生になった娘への自分の行動に照らし合わせると、ほとんどが実行されていなかったことに気づきました。

 極力小言を言わない。指示しない。ある程度大目に見てあげる。
 そして、娘は自分でちゃんと自分のことをやろうとしている(やりたいと思っている)と信じる。

 妻にも協力をお願いしました。
 とりあえずは、私が家にいる間は娘への対応は私に投げてくれるようになりました。
 妻にも本を渡したら、読みはじめてくれているようです。

 娘の様子は変わるだろうか?
 2週間、3週間、あるいは1ヶ月かかるかもしれない。
 娘の荒れがおさまるまでに。


 ***


 しかし、その効果は拍子抜けするくらいすぐに現れました。
 気持ちを入れ替え、決心したことを実行に移して翌々日には、娘は気持ちがいいくらいの朗らかさを取り戻しました。

 それまで娘とのトラブルが一番大きかったのが、翌日の学校の準備についてでしょうか。
 つまらない、気の乗らない作業だからでしょう。だらだらと遊びながらやるから、一向に終わらず、時間だけがどんどん過ぎていく。
 妻と娘がこれが原因でほぼ毎日激しいケンカになっていました。代わりに私がいろいろ言っても、イヤイヤやっているのが見え見え。ちょっと急かそうものなら「Hちゃんだって一生懸命やってんだから!」と。口だけは達者です・・・

 それが、私が娘を「信じる」ことを決心して次の日、娘は翌日の学校の準備を「今日は夜遅くなったから明日やる」と言い出しました。
 以前だったら「今日中にやりなさい」と言ったでしょう。
 でも「分かった。いいよ。」と言ったら娘は「明日は朝5時に起こしてくれ」と言いました。

 次の日、5時頃に起こしましたら、ちゃんと5時に起きました。
 早く起きて準備しなきゃ、と、意識していたのでしょう。
 そして、学校に行く前にちゃんと準備したのでした。

 しかしその次の日(二日目)、同じように朝に学校の準備をする羽目になり、娘に頼まれて朝5時頃に娘を起こしましたが、娘は二度寝して準備が遅れ、登校班の集合にも遅れ、学校へ向かって出発した班に追いつくまで妻に連れ添われました。
 一瞬の好調の、絵に描いたような失速ぶり。
 いいのですそれでも。失敗を経験して子どもは自分で考えるようになる、いい機会と思って。

 四日目、この日も、学校に行く前に準備するため娘に頼まれて5時頃起こしましたが再び二度寝。起きてからの準備は相変わらず「それで急いでいるのか?」という感じでしたが、まあ何とか家を出る時間まで間に合った。(でも準備したはずの体操着忘れてまた戻ってきた・・・)

 そして五日目。前の日の夜、いつもなら終わらせている宿題すらやっていない様子。夕飯も終わり、寝る時間が近づいて、どうするのかな?と思いながら見ていたら、急に「宿題やる」と言い出し、宿題を終わらせた後、明日の学校の準備にまで取りかかり始めました。しかも、いつもなら私か妻が「持っていくもの」を読み上げていたのに、自分で確認しはじめた。
 やっぱり「遊びながら」ですが、前回よりは時間が短縮できたよう。

 そのとき私は、娘は、やらなきゃいけないと頭では解っていたけど、気持ちがついていっていなかっただけだったのだ、と理解しました。

 娘が着替えているところを私がうっかり見てしまっても娘は何も言わなくなり、久しぶりに「一緒にお風呂入ろうと」まで言われるようになりました。


***


「子どもは、親に叱られるとか褒められるということに関係なく、自分自身の誇りのために、きちんとできるようになりたいと願っている生き物なのです。」p.81

「家ではくつろげることが一番大事だと思います。それがあるからこそ、子どもは学校や塾で、踏ん張るべきところで踏ん張ることができるのだ、ということを、親はわすれてはならないと思います。」p.241

「手出しをせずに見守ることは、なにもせずに放っておくことではありません。そうではなく、子どもが失敗してそれも乗り越えていくことを信じつつ、子どもに関心を向け続けることです。」p.316

 これらのことは皆、これまでの里親研修でも具体的な対応方法こそ違え、根本的には同じようなことを言っていたように、今振り返ってみると思います。ただ、それは里子だから、と私は思っていたし、我が家の娘はもうすっかり実の子のごとく親子関係ができてきたのでうちの娘には関係の無いこと、と頭のどこかで思っていたかもしれません。
 と考えると、我が子への気持ちの上での接し方は、実子とか里子とか関係なく、根本的には変わらない、ということなのでしょう。


 娘の、親に対する態度がすぐに好転したのは、いろいろと小言を言わず見守るようにした、という親の行動よりも、信じることにした、という親の気持ちが伝わったからかもしれません。
 もちろん、まだ年齢が小さいからそれで済んだ、という理由もあるかもしれませんが。

 娘の様子を見て、そう思いました。


***


 ・・・娘が鼻歌を歌いながら好きなことをやっている姿を見るのはいいものです。





カテゴリー:こどもとともに

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